さっちゃん農園のこだわり
土が元気!!
化学肥料には頼らず、微生物の力を借りて、根っこから丈夫な野菜を育てています。
農薬
いらず!!
〝農薬″の出番がありません。日々しっかり面倒を見てあげれば病気や害虫には困らないんです。
安心安全なお野菜を食卓に
ひとつひとつ丁寧に育てたお野菜を食卓にお届けし、一生懸命働いているあなたの、胃袋から応援します!
イラスト作:イラストレーター まいこ https://www.instagram.com/uchinokoto.y/
さっちゃん農園について
ABOUT SACHAN FARM
私には3人の子どもがいます。2018年に就農した私ですがそれまで、様々な職種を経験してきました。働く時間が増えれば増えるほど、子どもたちから笑顔が消える。
私は悩みました。そして思い出したのが幼少期、ケラケラ笑いながら母と農作業している私でした。農業なら子どもと一緒にいられる!そう思い農業を始めることを決意しました。こどもと一緒に種を蒔いたり、収穫したり、お母さんはいつでも家にいるという安心感からか子どもたちに笑顔が戻りました。そして気づいたことがあります。
「みんなちがってみんないい」! ついつい、子どもに完璧を求めてしまいますが、野菜を育てているとみんな本当に個性的で畑に行くと元気がもらえます。
農業の後継者不足が深刻な今、農業の魅力を発信し、誰もが農業に触れられる。
そんな畑を作っていくのが私の夢です。
野に咲く花や草の実でおままごとや
田んぼでメダカ捕りなど
自然がいっぱいの豊丘村ですくすく育ち、とても活発な女の子でした
「祖母とわたし」
これは、昔の運搬車
祖母は朝早くから牛の世話をしていたのを覚えています。
母が経営するダリア園にて。
私が保険の営業をしていた時は疎遠になっていた母…今では一番の理解者。
21歳で結婚。夫の支えがあってこそ。
子どもたちの笑顔を、未来にも。
さっちゃん’s
HISTORY & FUTURE
・1984年長野県下伊那郡豊丘村に
3姉妹の真ん中として生まれる
実家は農家で、牛を飼っており、その糞を堆肥として畑に使う、循環型の農家でした。
私が知る限り
・お米・ナス・ピーマン・レタス・竜峡小梅・山椒の実・市田柿(干し柿)・乳牛4頭(牛乳)・牛を辞めてからウサギなどを出荷していました。
父はJA職員でした。
私は…
小学5年で、運搬車に堆肥を積んでフォークで田んぼに撒いといてと命じられ
小学6年、刈払機(通称ビーバー)を使えと命じられ
中学生になる頃には、稲刈りの機械が入らない田んぼの稲を全て手で刈ったり、
市田柿(干し柿)の収穫、皮むき、パック詰めなど、農業の英才教育を受け
「幸恵は農家のお嫁に行くんだよ。
その時に恥ずかしくないようにしっかり覚えなさい」
と刷り込まれる。
農家のお嫁に行くものと信じた私は、
下伊那農業高等学校に進学。(入ったところは畜産科)
就職先は小林製袋産業株式会社と
農業漬けの人生を送ってきました…!
3年後そこで出会った夫は…非農家!
3人の子どもを産み、子育てに必死の毎日。
家族が笑顔になるためにはお金が必要と考えた私は、いくつもの仕事の掛け持ちや転職をして、保育園の送迎は義母に託し、フルタイム勤務。
ところがある時、一番下の娘から笑顔が消え、
顔がひきつっていることに気が付きました。
私がやりたいことってなんだったっけ?と悩み
パソコン入力の仕事をしながら
自分が小さかった頃を思い出しました。
そこには、夕暮れ、母と一緒にナスを収穫し
「はやくっはやくっ!暗くなっちゃう~」
とゲラゲラ笑いながら一輪車を押す母。
そして、その母の背中を押す私がいました。
そうだ!農業やろう!!
2017年11月 農家になろうと決意した瞬間でした。
私には今、夢があります。
実家は都会の中学生の受け入れ農家だったこともあり
私は、人を受け入れる事が苦ではありません
なので、駒ヶ根にキャンプに来た家族が
畑で野菜を育てたり、収穫したりする
シェア畑 を作ること
もう一つ、子ども達がのびのび畑で遊べる
のうち遊園地 を作ること
これが私の今の夢です☆